「ミスタ崔、あなたは私に無限の喜びと無限の哀しみを与えます。」

40 年近くにわたり、〈ミスタ崔〉と交わした57 通の手紙。
若き日の佐野洋子の素顔が浮かぶ、ベルリン・ミラノ・ソウル・東京を往復した未公開書簡集。

<書簡抜粋(帯掲載分より)>
「考えてみれば、ミスタ崔は私にとって現実の人ではないのかもしれません。そして、私は時々、まぼろしであるミスタ崔のために、ふるいたつことがあります。ミスタ崔のために、絵を描きたいと思い、ミスタ崔のために、美しい虚構を創りたいと思うのです。だから、ぜがひでも、ミスタ崔は、元気でいてくれないと困るのです。」
(1979.5.12. 佐野洋子の手紙より)

「洋子さんの毒気溢れるファックスを受けてやっぱり佐野芸術の頂点は “書簡文学” のジャンルだということを再確認いたしました。一人住まいのありあまる時間の一部を、是非私宛に毒舌とシニカルな才気と痛烈な適中力にみちあふれるお手紙をドシドシ送って下さいますようお頼みいたします。」
(1996.9.11. 崔禎鎬の手紙より)

<著者略歴>
●佐野洋子
1938年、北京に生まれる。武蔵野美術大学デザイン科卒。1967年、ベルリン造形大学においてリトグラフを学ぶ。主な作品に『100万回生きたねこ』(講談社)、『おじさんのかさ』(講談社・サンケイ児童出版文化賞推薦)、『わたしのぼうし』(ポプラ社・講談社出版文化賞絵本賞)、『だってだっての おばあさん』(フレーベル館)、『ねえ とうさん』(小学館・日本絵本賞/小学館児童出版文化賞)などの絵本や、童話『わたしが妹だったとき』(偕成社・新美南吉児童文学賞)、『神も仏もありませぬ』(筑摩書房・小林秀雄賞)、『役にたたない日々』(朝日新聞出版)、『シズコさん』(新潮社)、『死ぬ気まんまん』(光文社)などのエッセイも多数。2003年紫綬褒章受章、2008年巌谷小波文芸賞受賞。2010年、72歳で永眠。

●崔禎鎬
1933年全州生まれ。ソウル大学卒業後ドイツへ留学し、1968年ベルリン自由大学にて哲学博士号を取得。帰国後は成均館大学校および延世大学校にて教授として教壇に立つ。また、大学在学中から新聞記者としての活動をはじめ、韓国日報・中央日報などの記者、特派員、論説委員を務める。その後も朝鮮日報、東亜日報等にコラムを寄稿。著作には『藝―Non Plus Ultra』、『芸術と政治』、『政治と言語』、『福に関する談論』、『韓国の文化遺産』(2017年クオンより邦訳刊行予定)などがある。韓国言論学会長(1977~1979年)、韓国未来学会長(1992
~1999年)、韓独FORUM 共同議長(2002~2012年)を歴任。国民勲章(牡丹章)、李彌勒文化賞、ドイツ連邦共和国功労十字勲章等を受章。

<目次>
序詩  隣の国の男 谷川俊太郎
第一章 一九六七年
第二章 一九七一年
第三章 一九七七年 〜 一九八二年
第四章 一九八九年 〜 一九九四年
第五章 一九九六年 〜 二〇〇五年
回想の佐野洋子 崔禎鎬