休戦直後の混乱の最中
あの深い中庭のある家で
避難民も夢を追っていた


朝鮮戦争休戦の翌年、小学校を卒業したばかりの〈僕〉は、各地からの避難民で溢れる大邱で暮らすことになった。

混乱した社会で生きる人々の哀歓が〈僕〉の周囲で起きるさまざまな事件とともに生き生きと描かれている。
発表から三十余年を経て、今なお読み継がれるロングセラー。

|金源一著、吉川凪 訳|2022年11月30日|364ページ|

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【作家の言葉】

 朝鮮戦争の休戦から間もない一九五四年には、誰もが大変な思いをして生きていた。うちも五人家族が一部屋で暮らし、苦労しながらその時代を過ごした。大邱で〈深い中庭のある家〉の下の家に住み、母が針仕事をして僕たち四人きょうだいを育てたのは実際の話だ。戦争で夫を失った母は剛直な女傑で、長男の僕は厳しくしつけられて成長した。その意味でこの小説は、かなりの部分が自伝的だ。しかしここに登場する避難民の家族が全員同じ家に住んでいたわけではなく、大邱の中心部で五、六回引っ越すうちに出会った人たちを、この小説では一つの家に詰め込んである。この国の人たちみんなが三度のご飯を食べることすら難しかった時代ではあったけれど、今になって〈深い中庭のある家〉にいた頃を思い返せば、うちの家族はもちろんのこと、貧しい隣人たちの姿が、厳しい冬を越した早春の野原の麦みたいに痛々しく、しかし生き生きと思い起こされる。それで、彼らのことを思いながら、貧乏を、絶望に向かう道ではなく希望に続く道として、あの家で過ごした貧しい日々を、いつか丘の上に家を建てて青空の近くで暮らしたいと願う人々の夢が秘められたものとして描きたいと思った。
 時代が変わった現代でも、家のない貧しい人たちはそんな夢があるからこそ、今日の悲しみと苦難に耐えて一生懸命生きているのかもしれない。

  二〇〇二年十一月 金源一




著:金 源一
1942年、慶尚南道金海市進永で三男一女の長男として生まれ、慶尚北道大邱市で育つ。
ソラボル芸術大学、嶺南大学を経て壇国大学大学院で修士号を取得。
1966年、大邱毎日新聞の新春文芸に「一九六一年、アルジェリア」が当選し、翌年『現代文学』に長篇『闇の祝祭』を発表して作家としての活動を始める。
長篇『夕焼け』『火の祭典』『風と河』『冬の谷間』『深い中庭のある家』など、朝鮮戦争前後の世相を描く〈分断小説〉を多数執筆した。
現代文学賞、韓国小説文学賞、黄順元文学賞、東仁文学賞、李箱文学賞などを受賞。銀冠文化勲章を受け、現在は韓国芸術院会員。
邦訳としては長篇小説『冬の谷間』(尹学準訳、栄光教育文化研究所、1996)、『父の時代──息子の記憶』遠藤淳子ほか訳、書肆侃侃房、2021)、短篇小説は安宇植訳「闇の魂」(『韓国現代短編小説』〈新潮社、1985〉所収)、長璋吉訳「圧殺」(『韓国短篇小説選』〈岩波書店、1988〉所収)などがある。

訳:吉川 凪
仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学を専攻。文学博士。
著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』、『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』、訳書にチョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』、朴景利『完全版 土地』、崔仁勲『広場』、李清俊『うわさの壁』などがある。
金英夏『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。




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