「1935年に『鄭芝溶詩集』が出版された時、
朝鮮の詩は大きな転機を迎えた。
近代と現代を敢えて分けるなら、
ここから現代詩の時代に入ったと言っていいだろう」

(訳者解説より)

同志社大学在学中、北原白秋にその才能を称賛された鄭芝溶は、やがて母国の言葉で近代人の感情を繊細に描いた『鄭芝溶詩集』(1935年)で韓国詩壇を熱狂させ、尹東柱など多くの人々に影響を与えた。
代表作以外に、留学時代の思い出を綴ったエッセイも収録した詩選集。

目次
『鄭芝溶詩集』( 詩文学社、1935)より
『白鹿潭』( 文章社、1941)より
未収録詩篇
韓国語エッセイ
日本語作品
 散文詩
 エッセイ
訳者解説
鄭芝溶年譜

ためしよみはこちらから

鄭芝溶=著
清北道沃川生まれ。
徽文高等普通学校卒業後、1923年から同志社大学に留学、予科を経て英文科を卒業した。
早くから北原白秋に私淑し、留学中に白秋主宰の雑誌『近代風景』に日本語詩を投稿して掲載されたこともある。
徽文高普教師、梨花女子大学教授、京郷新聞主幹などを歴任。
『文章』誌では詩部門の選者として有望な新人を発掘し、京都で洗礼を受けて以来、カトリック教会関係の仕事にも尽力した。
朝鮮戦争中に行方不明になり、その頃死亡したと思われる。
感覚的な言語で近代人の心理を繊細に描いた芝溶の詩は1930年代後半の詩壇に圧倒的な影響力を与えたが、韓国では彼が〈越北〉したとして作品は1988年まで発禁処分を受けていた。
詩集『鄭芝溶詩集』『白鹿潭』のほか、エッセイ集『文学読本』『散文』がある。

吉川凪=訳
仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学を専攻。文学博士。
著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』、『京城のダダ、東京のダダ─ 高漢容と仲間たち』、訳書に申庚林詩選集『ラクダに乗って』、谷川俊太郎・申庚林『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』、呉圭原詩選集『私の頭の中まで入ってきた泥棒』、金恵順詩集『死の自叙伝』などがある。
金英夏『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。